2017年3月25日土曜日

神機隊の発祥の地を散策 穂高健一氏来訪

『二十歳の炎』の著者が来訪

平成29年3月14日、穂高健一氏が来られて神機隊の発祥の地を散策されました。
神機隊(砲隊長)高間省三の生き様を小説にした『二十歳の炎』の著者
穂高健一氏(東京在住)が志和(吉本)を訪ねて来られました。
広島護国神社が創建150年周年(明治元年創建)記念誌を発行される予定がありその中のメインに護国神社の筆頭祭神である高間省三を取りあげるそうです。
省三は志和発祥の神機隊の一員として砲隊長で戊辰戦争に出陣し福島で二十歳の若さで討ち死しました。その省三がどんな場所で、何を考え、何を目的に生きようとしたのか、その原点にあるものは何かがこの志和の地で見つけられるのではないか、それを探すために来られたそうです。
 高間省三は広島護国神社の第一祭神、高間省三命として祀られています。
案内した場所(午前中)、砲術練兵場(八条原城跡)、西蓮寺(本陣)、報専坊(旧跡地、屯所)、
小説(二十歳の炎)に出る伏突峠、など
穂高健一氏の解説(午後)護国神社に奉納されている省三の遺品集(パワーポイント)により説明を受けた。
参加者、護国神社(祭儀部長)、狩留家歴史会(天保氏)、海田歴史会(土本氏)、 
西志和自治会長他、東広島歴史研究会、FM東広島
 神機隊とは、幕末 木原秀三郎らに広島藩に建白されました。神機隊は諸隊といって藩の正規兵ではなく、農民を中心に構成された隊です。西志和の西蓮寺に本陣が置かれ、
西蓮寺には今でも隊士の墓が建てられています。
 備後、鳥羽伏見、上野を連戦し、福島の浜通りを激戦、連戦し、宮城県の仙台の仙台城に入城し役目を終えます。
 驚いたことに藩士の給料や戦費は藩からは出ることがなく、神機隊が自費で賄ったそうで、藩からは京都で戦ったのち藩船で江戸までおくられただけです。300名で出兵し、仙台城入場時は戦死者や戦傷者をのぞいたら、150名と激しい戦いの様子が想像できます。 神機隊は規律も厳しく、略奪凌辱は禁止され、福島では接収した米蔵を地元の救荒米の倉なので返還要請があり、無償で返還しました。農民のために立ち上がった自分たちが敵とはいえ農民を苦しめるわけにはいけないという理由からでした。
 また、地元の民話として語り継がれていることがあります。ある農家から赤ん坊泣き声がするので中を覗くと、若いお嫁さんと赤ん坊が、子どもがなくと迷惑をかけるからと一緒に逃げなかったとか、ふと奥をみると、真宗式の仏壇があり、手を合わせお金を備えて、でていったという、同じ浄土真宗の仏壇をみて懐かしかったのだそうだ。母親に抱かれた赤ん坊だった、古老が語った話だという。母親から何度も聞かされていたという。
 戦死したものはその功績により名字帯刀渉外弐人ぶちをあたえられたという。
神機隊志願者は農家の出身者が多いが藩士も含まれていました。
八条原城跡 練兵場案内

昼食 手打ちそばを食べながら

西蓮寺の神機隊本陣石碑

穂高先生の解説を聞く


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