2017年4月3日月曜日

吉田松陰と木原松桂

吉田松陰と木原松桂
東広島市高屋町に吉田松陰が尊敬する、木原松桂という人がいました。
木原松桂が書いた「三余読書」「七生滅職」の掛け軸を、座右の銘として吉田松陰は幽囚室に掲げていました。
木原松桂は40年かかって生き別れた母の墓をみつけ厚く葬ったという人物です。
2017年4月29日、第33回東広島の史跡・文化財を見て歩く会のコースより、




西高屋にある木原松桂頌徳碑 

安永5年(1776)杵原に生れ、幼い時に生き別れた母を追慕して40年探し続け、47歳の時に伯耆国弓ヶ浜で母の墓を発見し願いを叶えた。広島で医を業として特に貧者には篤く治療し、その孝義篤行は芸州藩に表彰された。
それを聞いた長州藩の吉田松陰は木原松桂翁の書いた「三餘読書七生滅賊」をもらい受け、座右の銘として松下村塾に掲げていました。

三餘読書
「人生には三つの余りがあり、その余りを無駄にせず学問(読書)にはげめよ」
「冬、これは一年の余り。夜、これは一日の余り。降雨は一時の余り」という。

七生滅賊
「七生」は七度生まれ変わるということで「永久」を意味する。
「滅賊」は尊王に背いた人間を賊といい滅するという尊王思想。

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